岩戸景気とは


岩戸景気とは
日本の経済史上の中で好景気として記録されている時期はいくつか存在しますが、その中でもっとも知られているのが、第二次世界大戦後の朝鮮特需からバブル景気にかかるいわゆる「高度成長期」です。
一口に高度成長と言ってもその内実には紆余曲折があり、1950年の朝鮮特需から1990年代のバブル景気までのほぼ半世紀に及ぶ期間中には何回かの好況期と景気後退期が含まれています。
今回は高度成長期の好況期として「神武景気」「いざなぎ景気」と並んで知られる、「岩戸景気」について見てみましょう。

岩戸景気とはなんだったのか

岩戸景気は1958年から1961年にかかる好況期の通称であり、1954年から1957年にかかる「神武景気」と1965年から1970年にかかる「いざなぎ景気」と並ぶ高度成長の好景気の1つです。
景気拡大期間が42か月と直前の神武景気の31か月をしのぎ、神武景気を上回る好景気から、神武天皇よりさらにさかのぼり、「天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸(あまのいわと)に隠れて以来の好景気」から連想して名付けられました。

高度成長を演出した岩戸景気

岩戸景気は景気拡大の理想的なサイクルをなぞった好況期であり、民間企業1社のおこなった設備投資が別の会社の設備投資を呼び寄せ、その会社の設備投資が更に別の会社の設備投資を招き・・・、と設備投資の好循環が続いたため、「投資が投資を呼ぶ」と言われました。

特定の製品や産業に需要が集中することで周辺産業にまで影響が波及する「特需」が岩戸景気に果たした役割は、朝鮮特需や神武景気と比べると小さなものにとどまり、資本流入が急増して資本流出を大きく上回ったことで資本取引面の比重が上昇しているのが特徴です。

この他の岩戸景気の特徴としては、産業ごとの回復に大きな差が生じたことが注目されます。
岩戸景気では直前の1954年から1957年にかけての「なべ底不況」の景気後退で、停滞傾向の強まった内需産業や景気後退の影響をほとんど受けなかった輸出産業、あるいは影響を受けたが回復の早かった成長産業との間で回復に大きな差が生じました。
産業間で回復に大きな差が生じた原因としては、基本的には技術革新による産業構造の変革期と重なったことや、世界規模での経済構造の変化が影響したと考えられています。

「一億総中流」と岩戸景気

岩戸景気によって若年サラリーマンや労働者の収入が急激に増加したことで、国民の間に「中流意識」がひろがり、昭和日本の特徴とも言える「一億総中流」という言葉が流行語になりました。
各企業はこの頃から技術・管理・販売部門などの企業規模の拡大に乗りだしましたが、この企業規模の拡大はいわゆるホワイトカラー層(サラリーマン)の増加と賃金の大幅な上昇を引き起こし、大企業のサラリーマンを中産層に押しあげることとなります。

こうして拡大した中間層による消費の急拡大をきっかけとする大量消費社会の到来は、生産と消費に介在する流通システムにも大きな変革を促すこととなります。

大量生産・大量消費の時代には、従来の個人商店や小規模チェーンなどの伝統的な流通チャネルだけではその大量の需要に対応できず、需要に対応する新たな業態として食料品・繊維製品・台所用品・化粧品・医薬品などを横断する小売市場に、大規模小売店としてスーパーマーケットを誕生させます。
スーパーマーケットはメーカーによる販売店系列化や卸売業者(問屋)などの中間業者を排除した流通経路の短縮化、小売業者による販売技術の革新などにより、豊富な品揃えと大胆な値引き販売で顧客の集客に成功します。
スーパーによるこれらの手法の開発は、それまでの「生産者→問屋→小売」という従来の流通経路に革命的な変化をもたらしたという意味で「流通革命」と呼ばれることとなりました。

おわりに

岩戸景気の時期にあたる1958年から1960年はちょうど1960年の日米安全保障条約(日米安保)の改正にかかる社会情勢の混乱と同時期であり、世情は騒然としていました。
しかし、そんな社会情勢とはかかわりなく岩戸景気は高度成長期の更なる飛躍に繋がった好況期として記録されています。

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