バブル景気とは


バブル景気とは
第二次世界大戦の終結から現在に至るまで、日本経済は何度か好況・不況の波に揉まれてきました。
しかし生活習慣や文化にまで影響を及ぼす好景気は、1980年代末から1990年初頭のバブル景気が最後です。その金遣いの荒さから「ジャパン・バッシング」の対象ともなったバブル景気とは、どのようなものだったのでしょうか。
今回はバブル景気について振り返ってみましょう。

バブル景気とはなんだったのか

バブル景気とは、1980年代末から1990年代初めにかけて発生した資金余りによる不動産や株価などの財テクによる資産価格の急上昇と、それにともなう景気の拡大のことを言います。
バブル景気の直接のきっかけとなった資金余りは、ドル高の進行を食い止めるために結ばれた1985年のプラザ合意と、1987年の世界的な株価暴落(ブラックマンデー)による景気失速を食い止めるための財政・金融政策が直接のきっかけとされています。
このときに採用された低金利政策により資金余りが続き、1980年代後半から1990年代初めにかけて株式や不動産に過剰に資金が流入したことにより資産価値が過剰に拡大したことがバブル景気の直接のきっかけとされています。

日経平均株価で株価の推移を見てみると、1983年(昭和53年)は8,800円代だったものが1989年(平成元年)12月末には史上最高値となる3万8,000円代を記録しました。
同時に地価も記録的な暴騰を示し、1986年から1987年の2年間で首都圏の住宅の公示地価は2倍となります。これらの資産価値の暴騰により株式や不動産を保有している企業や個人の資産価値は飛躍的に高まり、資産を担保に低利率で借り入れた資金が再び株式や不動産の購入に充てられることで、資産価格の上昇という拡大の好循環を構成しました。

バブル崩壊と「失われた20年」

永遠に続くとも言われたバブル景気ですが、その崩壊は実にあっけなく訪れ、それまで財政・金融政策で緩和的な政策を維持していた政府が引き締めに転じたことによる金利の上昇、税制見直しと土地融資の総量規制の導入などをきっかけとしてバブルは崩壊します。
その進行速度は極めて早く、日経平均株価が史上最高値を記録した1年10ヶ月後の1990年10月末には2万円近くまで落ち込み、1992年8月には1万4,309円を記録し、不動産価格も1991年から2年で10%以上の落ち込みとなり、バブル経済の崩壊が明らかになりました。

資産価格の急速な低下によるバランスシート圧縮の動きにともなって、家計や企業は消費支出や設備投資を抑え、銀行は自己資本比率の減少に対処するために「貸し渋り」にはしり、日本の経済活動が大きく縮小し、「失われた20年」とも呼ばれる停滞期間に入ります。

バブル景気の経済的影響

このように急激な拡大と縮小により日本経済のその後に大きな影響を与えたバブル景気ですが、経済的にはどのような影響があったのでしょうか。

バブル景気の狂乱ぶりを示すもっとも象徴的な事例としては、資金のダブついた日本企業による国外の不動産や企業の買収があり、有名なところとしては三菱地所によるロックフェラー・センターの買収(2,200億円)やソニーによるコロムビア映画(5,000億円)が知られています。
このような積極的な日本企業の海外進出は、特に有力な進出先となったアメリカで好悪両方の極端な反応を引き起こし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン(世界の頂点にいるも同然の日本)」といった好意的な反応や、ロックフェラー・センター買収をきっかけとする「ジャパン・バッシング(日本叩き)」のような極端な日本脅威論が入り乱れることとなります。

国内に目を向けてみると、資産価値の上昇を当て込んで地方でのリゾート開発やゴルフ場開発が盛んにおこなわれるようになり、のちにバブル崩壊後の負の遺産として地方社会・経済が大きな重荷を背負う直接の原因ともなりました。

おわりに

このように功罪様々な影響があったバブル景気ですが、その後の長期低迷(失われた20年)や社会格差の固定、雇用の不安定化など日本社会に大きな影響を与えた最後の好景気と言えるでしょう。

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